全柔連「長期育成指針」について
中村真一
昨年はパリオリンピックの前年ということもあり、選手強化に注力した年でした。東京オリンピックに出場した選手の多くが現役を継続しているという事情もあり、難しい舵取りが求められるところでしたが、本年2月に男子100㎏級の選考も終了し、パリオリンピックの代表候補選手は全ての階級で決定しました。また、昨年5月にカタールのドーハで開催された世界選手権では、個人戦で金メダル5個、銀メダル2個、銅メダル4個を獲得したことに加え、男女混合団体戦でも6連覇を達成することができました。
そして昨年の大きなトピックスは、当連盟として「長期育成指針」を策定したことです。その背景は、2019年の世界選手権東京大会、そして2021年の東京オリンピックという大きなイベントを無事終了し、今後の当連盟の行動指針が必要とされていたことがあります。実は一昨年初頭から策定に着手しておりましたが、1年余の期間を経て完成に至ったものです。
「長期育成指針」の内容については、既にご存知の方も多いと思いますので、ここでは当連盟の具体的な対応策について申し述べたいと思います。「指針」では6つの方向性を示していますが、その第一は「柔道の多様な価値を享受する機会の確保とアスリートパスウェイの提案」です。嘉納師範が柔道の目的として「勝負」「体育」「修心」の3つを挙げておられることは皆さまよくご承知のことですが、これまでの当連盟の施策は「勝負」に大きなウェイトがかかり、「体育」「修心」に関してはあまり重視されておりませんでした。当連盟は中央競技団体ですから、「勝負」すなわち競技力向上が大事な使命であることは論を俟ちませんが、将来に向かってハイ・パフォーマンスを維持するためには、基盤の強化、拡充が不可欠です。そのため、「体育」「修心」にも力を入れていこうと考えています。具体例を挙げますと、高齢者や年少者が転びにくい体を作り、怪我をしにくい転び方を学ぶ場を提供すること(転倒外傷予防指導員という資格を創設しました)、嘉納師範の『青年修養訓』を学ぶ会を催すことなどがあります。また、革新的パスウェイ特別委員会を設置し、科学的検証を進めて従来の競技者数の多さに基盤を置いた伝統的パスウェイから転換しようと模索しています。
方向性の第2は「多様な評価軸を用いた他者や自分自身との挑戦の支援」です。試合に勝つことは、トレーニングや稽古の成果を評価する1つの尺度であることは間違いありませんが、トーナメント戦では2人に1人は一回戦で負けてしまいます。試合に勝つことだけを目標にすると、多くの人が挫折することになります。そこで技の修得度や修心の到達度など複数の評価軸を用意することによって、達成感や充足感を得られるようにすることが大事だと思います。また、全柔連が主催・主管する大会の目的を明確化し、目的に沿ったレベル、実施数、ルールを検討していく予定です。
第3は「個人差を考慮した安全で適切な柔道指導の推進」です。従来は、ともすれば画一的な指導が行われがちでしたが、発育発達の遅速、性差、障害の有無等に着目し、きめ細やかな指導をすることが望まれます。このため、指導者養成講習のカリキュラムを見直し、来年度から運用します。また、更新講習の内容も見直し、コンプライアンス、ルール、安全等の受講を義務付けることとしました。これらのインフラとなるシステム整備も進んでいます。
第4は「柔道実践者が生涯にわたって円滑に活動が継続できるようにするための支援」です。喫緊の課題は、中学校部活動地域移行への対応ですが、地域の実情に応じて拠点校を設ける、地域の高校、大学を核として部活動を実施する等の施策を整理して、シンポジウムで紹介しています。また、総務委員会に少柔協、中体連、高体連、学柔連、実柔連の代表を加えるなどして、連携を一層強化しています。各都道府県から選出された指針推進委員をネットワーク化して情報共有を徹底する準備も進めています。
第5は「全ての世代への支援ができる柔道指導者等のアントラージュの拡充」です。日本スポーツ協会が開発したアクティブ・チャイルド・プログラム(ACP)を柔道場で実践する「JSPO-ACP@柔道場」を開発し、指導者の養成を進めるなど多様なプログラムを用意していきます。今後は、発達障害のある児童への対応、コグニサイズ柔道版(認知課題と運動課題を同時に実施する)も視野に入れていきたいと思います。また、前述した指導者養成のカリキュラムだけでなく、審判員養成のカリキュラムも改善していきます。
第6は「柔道を通した修心の到達目標・内容の明示と普及」です。前述した『青年修養訓』を学ぶ会は、青年修養塾と称する一種の読書会ですが、ここで到達目標のたたき台を作成したいと考えています。
以上のように、「長期育成指針」の具体化策は着々と進行して参ります。しかしながら、「指針」の浸透が自己目的化してはならず、柔道の普及振興という本来の目的を忘れてはならないと思います。その意味で、柔道実践者の皆さまのご意見を拝聴し、ご質問に丁寧にお答えしていくことが絶対に必要です。ご希望があれば専務理事以下をご説明に差し向けますので、お気軽にお申し付けいただければ幸甚です。
本年はパリオリンピックが開催される年です。過去最高の実績を上げた2021年開催の東京オリンピックほどの成績は難しいかもしれませんが、国民の皆さまのご期待にお応えするべく、選手強化に余念のないところです。但し、各国の実力は伯仲しており、決して油断は許されない状況です。特にフランスは柔道人口も多く、開催国の意地を見せると思われますので、最大の強敵だと思います。入念に準備をして本番に臨むべきと考えております。
あわせて、「長期育成指針」に則って諸施策を展開し、将来の柔道界の発展に寄与することが小職に課せられた使命であると認識しております。引き続きご指導ご鞭撻のほどをお願い申し上げます。
(全日本柔道連盟会長)